2006/8/14(mon) |
キリコは男だけの祭りじゃない |
1日遅れで出発した槍登山は,不覚にも予定より1日早くの撤退となってしまった.
親父の休暇はあと2日残っているので,せっかくだからと金沢観光となった.
日中は,21世紀美術館〜長町の武家屋敷街〜尾山神社〜金沢駅とぶらつく.金沢に越して来て4年目だが,いつもチャリで走り抜ける場所で,じっくりと歩くのは初めてだ.なかなかに街の雰囲気を楽しめて面白かった.
しかし今回の親父連れまわしのメインは金沢じゃない.今日はキリコ祭りのひとつ,西海祭りがあるのだ.石川に来ていて,この奇祭を見逃す手はない.(そもそも俺が行きたかったからだが)
晩飯を済ませ,何故か巻き込まれた夢の後輩Oと合流した後,LEGACYを駆って能登半島西部・富来町に向かう.
夏の間,能登半島各地で担ぎ出されるキリコの大半は,サラシに法被姿の男の祭りである.最近では男に負けじとキリコを担ぐ女性を見ることもあるが,旧来のものではない.ところが,この西海祭りは,女性がキリコを担ぐ伝統を持つ祭りである.
また,ここの御明かし(富来ではキリコをこう呼ぶ)は,宇出津のキリコなどと比べて小振りだし,作りも華奢だ.
しかし…女性の担ぐ小振りなキリコと侮ってはいけない.ここは漁師町なのだ.
狭い通りを御明かしが乱舞する.それも,ここの御明かしの動きは今までに見たことのない複雑な動きをする.
大抵のキリコは,広い場所で回ることこそあれ,ジグザグに蛇行しながらも,前を向いて進む.ところが,ここの御明かしは素直に前に進まないのだ.狭い道を,左右に回りながら,蛇行しつつ,前後しつつ進んでくる.まさしく予測不可能だ.
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御明かしを担ぐのは浴衣姿の女性.ヤンチャである.
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明かりのほとんどない夜闇に御明かしが映える. |
風戸バス停の辺りで風戸地区と風無地区の御明かしが合流すると,祭りは一気に熱を帯びる. 狭い道を練り歩き,ぶつかり合わんばかりに御明かしが乱舞する様は見物だ.
そしてさらに,神輿と御明かしがそれぞれの地区に戻ると,祭りは臨界に達する.
ここで,神社の境内に入ってからは次の3つのルールがある.
壱.神輿が神社に奉納されたら祭りは終わりである.
弐.ここまでは休み休みの行進だったが,神社の境内に入ってからは,神輿も御明かしも落としてはいけない.
参.神輿は絶対に奉納しなければならない.
祭りを終わらせまいと,松ヶ下神社に奉納しようとする神輿を御明かしが阻止しようとして,狭い神社の境内で神輿と御明かしの乱舞が始まる.
神輿も御明かしも落とせないから,体力勝負だ.それも熱気が最高潮に達した中,御明かしと神輿はぶつかり合い,倒れ,狭い境内を全力疾走する.
そしてそれぞれの担ぎ手に疲れが見え始め,御明かしが1本,また1本と脱落して,乱舞が始まって1時間ほど経った頃に,御明かしの隙を突いて神輿が社殿に突撃し,祭りは終了した.
毎度のことながら,もの凄い熱気に呑み込まれた祭りだった.御明かしが競り合い,乱舞する様は今までに見たキリコの中でも最も激しかったんじゃないだろうか.
疲れながらも余韻に浸る僅かな人々を残して,さっきまで境内を埋め尽くしていた人々は急速に散開していく.祭りは終わった.
俺たちもまた,帰路につく.
明日には,俺も5ヶ月ぶりに郷に帰る.
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2006/8/13(sun) |
槍登山3日目〜静かな暴力 |
おととい,昨日と好調にとばして来た俺だが,どうも昨日の夕方から調子がおかしい.軽い頭痛がある.
親父の負担軽減で荷物の大半を受け持ったりして負担は大きかったし,本格的な岩場は初めてだったりしたから,チョッと疲れたかなと思いながら寝ようとしたんだが,ここから厄介が始まった.
山小屋では,混雑期には人と人が肩を接するような,ギリギリの隙間に詰め込まれて寝ることは珍しくない.昨夜もそんな状況だったんだが,問題は先に寝た人が,しっかり2人分のスペースを占拠していたことだ.翌日の行程確認やらなにやらしていた俺たちは,寝る場所がない!という状況になってしまったわけである.
さすがに混雑期だけあって,山小屋の方も気を利かせて談話室にもスペースを確保してくれていたので,そちらで寝ることにしたのだが,今度は毛布がない.仕方なく,衣類を着込んで座布団に埋もれて寝る羽目になった.とんだ災難だ.
ところが,夕方の頭痛は眠れば取れるだろうと思っていたのだが,夜中に激しい頭痛と寒気で目を覚ます.脈は取ることが難しいくらい弱く,そして100近い.高山病の症状である.
高山病も軽度なら頭痛程度だが,症状が重くなると死亡に繋がることもある.そして,その治療法はただひとつ.山を降りること.そこに留まる限り,改善することはないのである.しかし今は深夜0時.小屋の外は闇と強風と渦巻くガスに覆われている.日が昇るまでは身動きもとれず,あと5時間はこの苦痛に耐えるしかないのである.
眠ることもできず,そこにいる限り改善も期待できない.悪化すれば重症にもなりえる.そんな耐え難い頭痛.こんなとき,高山は静かな暴力と化す.稜線に孤立した小屋の中,唸る風の音を聞いていると,俺は無力だ…と思えてしまう.心細い.無事に朝を迎えられるのだろうか…遭難者の心境とはこんなものか.
幸い,親父の荷物の中にあった頭痛止めを飲むことで頭痛は抑えられ,なんとか無事に朝を迎えることができた.
しかし,やはり体の芯から来る重たさが残っている.思うように力は入らないし,判断力も落ちている.そして今日は昨日の槍ヶ岳よりもさらに険しい,北アルプス最大の難所,大キレットに挑もうというところである.体調不良ではあまりにも危険が大きいので,穂高を目前にして,悔やみながらもここで下山することとした.
南岳小屋を出れば,すぐそこは大キレットだ.荒々しく巨大な切戸が眼前に広がる.
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大キレットとその向こうにそびえる穂高岳連峰.
険しい岩場が続く. |
高山の暴力と対峙する羽目になった南岳小屋.
稜線の小さな小屋である.
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7時に小屋を発ち,高山を脱出するため,南岳新道を下って南沢へ下る.3000mの稜線から一気に1800mの谷底へ下る,エスケープルートである.これが新道かってくらい,足場の悪い山腹をどんどん下る.相変わらず足元要注意である.
ところが少し下ると,さっきまでの不調はなんだったんだろうってなくらい調子は回復し,2700mまで下った頃には何ともなくなってしまった.昨夜の苦痛を忘れて,こんなのなら,そのまま先へ進んでもよかったのでは,と思えてくる.どうしようもない苦痛でも,山を降りると何事もなかったかのように回復してしまうのが高山病の憎い所である.
しかし,下山途中にも,県警のヘリが大キレットに飛来して,「生存していれば合図を送ってください.」と言っているのを見た.滑落事故である.この事故では1人が亡くなっている.体調不良で大キレットに挑めば,俺がそうなっていたかもしれない.そう考えるとやはり山は恐ろしい.
南岳小屋の標高は2975m,以前,富士山登頂した時にも何ともなかったし,2度の立山連峰縦走でもなんてこともなく,まして槍ヶ岳山頂でも何事もなかったのに,なぜこんなところで高山病に,と思うと非常に悔しい.しかし3000m付近では,ちょっとした不調が元で発症ですることもあるそうだ.
恐らく,一番の原因は脱水症状ではないだろうか.昨日の行動中に飲んだ水は1.5L.この季節なら日常生活でも2L近い水分を摂取する俺にとって,過酷な行軍でこの量は少ない.稜線では水は貴重だが,そんなミスで行軍中止を余儀なくされたのは悔やまれる.
南沢を下った後は,沢に沿ってひたすら新穂高温泉まで歩く.上高地-徳沢と同じような,延々とアプローチが続く.
穂高平小屋から北穂高岳を望む.
左側の稜線が窪んだ部分が大キレット.僅か8時間前にはあの辺りに居たのが嘘のようだ.
今回は惨敗を喫した穂高連峰だったが,槍ヶ岳登頂が叶っただけでも良しとしよう.
必ず戻ってきてやる.
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2006/8/12(sat) |
槍登山2日目〜その名のとおり |
昨日に続き,今日も晴天である.
小屋を出発したのは5時半.歩き始めると,昨日とは違い,どんどん登っていく.1800mから,一気に3000mまで上がるわけだ.
昨日の経験から,今日は荷物の分担を俺の方に多く取ってある.今日の登りは体力勝負だ.
槍沢ロッジ周辺は,まだ背の高い森の中だったが,歩き出すとじきに木々が低くなっていき,2時間も歩くとハイマツしか生えない岩場となった.いよいよ高山帯だ.
このあたりから先は道は沢筋を外れ,槍ヶ岳山荘まで容赦のない急坂となる.地図を見て理解していたつもりだが,えげつない登りである.これは,昨日の親父の体力で登らなくて正解だっただろう.
槍の穂先はガスがかかっていて拝めなかったが,8時半ごろ,ついに姿を現した.
槍.
まさしくその名のとおりの姿である.あんなものに登るのか…
急坂を登りきり,槍ヶ岳山荘に着いたのは10時過ぎ.ここはすでに標高3080m,尾根筋だ.
山荘の脇で,雷鳥の親子を間近で見ることができた.なかなかお目にかかれる相手ではないが,人を怖がらないから,見れるときにはすぐ近くで見ることができるらしい.行動は鶏みたいな感じだ.
一休みした後,荷物を置いて槍の穂先を目指す.
…ここまでは一応,歩いていれば登れる道だった.しかし,これは道なんて何処にあるんじゃい!な,登りとなる.
え〜と,こいつに足掛けて,んで,これ掴んで,次はこれに足掛けて,いや違う…ってな感じの登り.しかもルートを見失わないように回りもよく見ながら進まなければならない.まさしく見た目相応の,なんじゃこりゃ〜な登りである.そんな岩場を一気に100m登る.
そして散々そんな岩場を登った先に現れるのが,写真の2連梯子.頂上手前の最後の垂直の岩壁を一気に上る.まさしく「落ちたらただ事じゃない.」
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雷鳥親子.見事に保護色だ.
その雷鳥が呼ぶものは… |
槍ヶ岳山頂直前の梯子.
高低差15mはあるだろうか. |
そして最後の梯子を登りきると,突然平坦になる.頂上だ.標高3180m.
360°のパノラマが開ける.まさしく,「登ったぞ〜」ってな感じである.こんな岩場を登るのは初めてだ.なかなかの達成感を味わえる.
しかし登頂して少しすると,遥か遠くから気になる音が聞こえてきた.雷鳴! 山で,それも開けた尾根筋では最も出くわしたくない相手のひとつだ.急ぎ小屋まで下る.
今日はさらに尾根筋を進みたいのだが,昼飯を兼ねて,とりあえず小屋で様子を見る.
そして30分もせずに,天候は急変した.数m先が見えない濃いガスと,滝のような大雨,あたり一面が閃光に包まれると同時に「ドーン」と轟音が響く.山が砕けるんじゃないかってな勢いだ.山の雷は怖い.
俺たちの後に山頂に登った人は,髪が逆立ったといっていた.あぶねぇ.雷鳥は雷を呼ぶってのはホンマなんかな.
いつまで続くんだろうかってな嵐が続き,諦めて宿泊予約をする人が列を成し始めた頃に,ようやく嵐は過ぎた.1時間半の足止めだ.
この時点で,北穂高山荘まで行くことは不可能となったが,その手前の南岳小屋までは進むことにする.
尾根筋の岩に張り付くような道や,岩がゴロゴロするガレ場を越えて南岳小屋に着いたのは17時前.槍ヶ岳ほどではないが,ここらの道は険しい.
南岳小屋は標高2975mである.今までに泊まったことがある場所として最高の地点だ.
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2006/8/11(fri) |
槍登山1日目〜巨大な山 |
初日に大きな遅れをとってしまったが,なんとか登山口までこぎ付けたのが昨日.1日遅れたが,今日は槍ヶ岳山荘まで上がりたいところだ.
上高地へは自家用車は乗り入れできないので,平湯温泉に駐車してシャトルバスで入山する.5時半のバスで上高地へ向かう.
上高地に着いたのは6時.登山届けを出し,いよいよ歩き始める.上高地周辺は標高1500mとそれなりだが,観光地ということもあり,人はそれなりに多い.
槍ヶ岳が3000m級の高山といっても,いきなり急な登りとなるわけではない.上高地から半日,横尾までは森の中を沢に沿って,ほぼ平坦な道が延々と続く.巨大な山である.
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上高地・河童橋から徳沢方向を望む.
巨大な山が控えている. |
森と沼と山.不思議な景色が続く.
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登り始めまでのアプローチ段階だとはいっても,このあたりは高山とはまた違った荒々しくも優しい景色が広がる.荒々しい高山を背景に,森の緑と沢の豊富な水が綺麗である.
植物も多様で,退屈することがない.こういうところもまた,山の面白さだろうか.
しかし,ここはまだアプローチ段階なのだ.俺も親父も調子に乗って写真撮りまくってたら,少々時間を掛けすぎたようだ.そのうえ,親父の時間配分で進めると,やたら小休止や昼休憩が長くなってしまった.
これはいかんと,ペースアップする.ところが,親父が遅れる.一緒に山に登るのは6年ぶりだが,いつの間にか体力が逆転してしまっていることを感じる.
結局,本格的な登りが始まる槍沢ロッヂ(標高1825m)に着いたのが14時半.ここで予定通り槍ヶ岳山荘まで上がるか,行動を切り上げるかの決断を迫られる.
槍ヶ岳山荘までは標準タイムが約4時間,おそらく,俺だけなら急げば日没までに到着は可能だろう.しかし,親父のペースが予想外に遅い.途中に小屋はない.親父は行こうと言うが,危険だと思い,ここで泊まることを進言した.
初日に続いて,ここでも遅れが出るのは痛いところだが,登山で無理は禁物である.
それにしても最近の山小屋は食事もいいし,綺麗である.槍沢ロッヂは沢筋で水が豊富なため,風呂もある.石鹸類は使用できないが,汗を流せるだけでも非常にありがたい.
明日はいよいよ3000m級の高山だ.
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2006/8/10(thu) |
槍登山前日〜17時間の遅刻 |
中部地方には北アルプスをはじめとする高山が連なっている.せっかく北陸に住んでいるのだから,これに登りに行かない手はない.
ところが,登山ってやつは意外と金が掛かる.そして誘える相棒がなかなかいない.そんなわけで結局,金沢に越してきてから今までに行ったのは,大学の授業で登った白山と,高校の先輩と行った立山連峰縦走くらいである.せっかくまとまった休みがあるのに,勿体無い.
ところが今年の夏は,親父の調子がいいらしく,北アルプスに登山に行かないかと誘われた.またとない機会である.
今回の予定は,10日に上高地から入山し,槍ヶ岳まで登った後,南岳,北穂高岳,奥穂高岳,西穂高岳と縦走しようというもの.下山予定は14日.久々の高山登山だ.
最初の予定では,親父は9日の仕事が終わった後に奈良を発ち,深夜に金沢の俺の下宿に来ることになっていた.今日には上高地から入山し,いくらか登る予定だ.
ところが,いきなり初日から問題発生.親父が来ない!
9日中の到着は無理かもしれないと思っていたが,今朝になっても奈良を発っていないという.準備が遅れてるんだとか.いつもの悪い癖が出たな.
結局,昼になってようやく出発したらしい.こんなんじゃいくらでも遅くなってしまうから,高速のPAで合流することにする.N先輩に送ってもらう.
結局,合流したのは16時.実に17時間の遅刻だ.先が思いやられる.こんなんじゃ,今朝もバイト入れとけば良かったかも.
さすがにこんな時間から入山は到底無理だが,今日は登山口の平湯温泉泊まりかと思えば,親父は富山で泊まるとか言い出す.なんでも,到着が遅くなるし,旅館の連絡先の調べようがないからだとか.冗談じゃない.意地でも平湯までは行かせる.
旅館がわからないんなら,調べればいい.富山ICで高速を降りた後,電気屋を探す.展示商品のPCからネットに接続して旅館検索→場所を確認し,電話番号を控える.運転は俺が代わり,携帯から予約の確認をしてもらう.はい,予約完了.文明の利器は的確に使わんと.(電気屋の店員の視線が少々痛かったが)
あとは高山に向け,車をとばす.平湯温泉には21時ごろに到着.なんとかここまでは入れたからよしとするか.
明日からはいよいよ山だ.
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2006/8/9(wed) |
休暇的夏休み |
ボート大会,サマーサイエンスと,懸案事項が終了して,ようやく休みらしくなったのが今月初め.
ところが,下手すると学期中より忙しい生活をしていたりする.
大抵の大学生ってのは,夏期休暇こそバイトしたりして稼ぎ時ってもんだろう.ところが俺は,ボートの製作が遅れに遅れたため,大会直前の7月はろくにバイトもできず,一日中夢考房に篭りっきりで製作活動だった.まとまって活動しない人力ボートだが,このときばかりは傍目に見ても忙しそうだったようだ.
俺が以前からやってる警備バイトは,まぁ,小遣い稼ぎみたいなもんなんで稼ぎが少なかったら少なかったとき(車の購入がさらに遠ざかるという難はあるが),なんだが,夢考房Staffの方は生活費の一部である.こちらの稼ぎが減るのは大問題だ.当然早く車が欲しいってのもあって,残り少ない夏期休暇はバイトに充てられることとなった.
で,その結果,午前は警備バイト,午後は夢考房Staffと,なかなかハードな生活となってしまった.さらにこの暑さにやられて夏ばて気味で晩飯がろくに食えないもんで,かなり生活が変わってしまった.
5時起床,朝食はある程度しっかり食う(通常の晩飯レベル).
7時前に出勤して警備バイト(現送)→10時に終了 〜激しい運転でかなり精神力を消耗する
昼休憩,昼飯は学食でしっかり食う.
12時半から夢考房Staff(シフト人数が少ないんで忙しい)→17時閉館→18時頃に清掃終了
しばらく26で涼んだ後,帰宅.暑さと疲れでぐだぐだ.
軽く晩飯を済まして(パンとか),10時過ぎには就寝.
学期中より早寝早起きしてるな.最初は暑さで飯が食えず,辛かったが,朝食重視・夕食軽視にしてから調子はそこそこ回復した.
まぁ,しかし,この忙しい休暇生活も今日で終了だ.
明日から大学は完全閉鎖となるので,Staffの仕事はなくなる.それに併せて警備バイトも外し,明日から親父と槍・穂高に登山に行ってくる.
ようやく休暇っぽい夏休みになる.
チャリがゴミ収集車に喰われてた.
夏期休暇に合わせて,学内に大量にあった放置自転車が処理されているようだ.これで少しは駐輪場が空くか?
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2006/8/3(thu) |
人力機械の難しさ |
先日のボート大会中に破損したギアBOXの歯の状態を見てみようと,解体した.
ついでにせっかくの精巧な工業製品を捨てるのもなんだし,後輩のフライス盤の練習も兼ねて,カットモデルにしてみた.
カットモデルとは,機械の仕組みが外から見られるようにケースの一部などを切除したり,透明にしたりした模型である.
一旦,ケースからギア,軸,ベアリング,シールを抜いてグリスを落とし,ケースの半分近くをフライス盤で削り落とす.このとき,ケースの半分より少し残さないとベアリングが外れてしまう.
できたカットモデル.10円玉とサイズを比較.
軸方向を90°変更し,2倍増速するギアBOXである.見事に歯先が欠けている.
こんな小さい歯車ではまぁ,常識的に考えて人間2人分の出力に耐えられるわけがないだろう.メンバー一同,解体してみて驚いた.
設計担当はさすがにカタログ値で知ってはいたようだが,やはり驚いていた…って,こら,そらあかんやろ.
改めて問い詰めてみれば,想定される出力の方が,ギアの耐荷重より多少上回っていたらしいが,工業製品のスペックには多少の安全率を含めてあるし,長時間の連続運転でなく短時間のレースでの使用だからもつと思ったそうである.
しかしそれはあくまでモータなどから出力される安定した荷重の場合の話だ.人間の足でペダルを回す我々のボートでは,ギアに掛かる荷重は定期的に変動する.瞬間的には相当大きな荷重が掛かるわけだ.それではギアは耐えられない.
さらに人間の最高出力ってヤツは事実上計測不可能だ.元々,人間の体は実際に出せる力の1/3くらいしか出さないらしい.事前にエアロバイクなんかで計測して,これだけ,と定めても,あくまでそれは仮定値にしかならない.そして,その時のコンディションやら気分なんかで瞬間的にそれを上回る力が出ることがあるらしい.レースとか災害とかで気分が高揚すると,時としてとんでもない力を出すこともある.いわゆる火事場の馬鹿力というやつだ.
そんなわけで,人力機械の設計ってヤツは実はかなり難易度が高いのだ.
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