気まぐれ日記


 普段の生活で,何かちょっとしたことがあったり,ちょっとだけ写真を撮ったりしたときに更新します.
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2009/03 過去の日記 
2009/4/18(sun)
いじり初め
 インプレッサ(GC8)のヘッドライトはH4(60/55W)だが、Type-RAは標準でハイワッテージ化されたH4R(100/85W)という特殊バルブを使用している。
 このH4R、確かに純正としてはそこそこ明るいんだが、あくまでノーマルハロゲンのハイワッテージもの。HIDや高効率ハイワッテージ球にはやっぱり劣るし、思いっきり電球色であるし、純正品ゆえ高い。

 むやみに青いバルブは好かないが、軽自動車ですら純正HID搭載の時代に、光量も、見てくれも劣ってしまう。
 ところが、社外品導入を考えても、こんな特殊品をラインに乗せるメーカーもいないわけで、社外品は皆無。
 
 先代シビック(EG4)でもH4Hってな特殊バルブに泣かされたが、続けて特殊バルブに縁があるのは俺が素直でないからか?
 シビックの時はドライビングランプ増設で対処したが、今回は将来のHID導入を視野に入れて、ランプユニットの交換で対処することにする。


 というわけで フロントグリル → スモールライト → ヘッドライト と外していく。
 ヘッドライトを外した姿は、なんか間抜け面だ。

 ただH4化するだけなら、GC8後期型WRX(RA以外)のランプユニットに換装すれば、外見も変わらない。
 プロジェクター化して箔をつける人もいるようだが、どうやらこれは暗いらしい。

 換装するからには何かイメージを変えたいところ。しかし暗いのでは本末転倒。
 ってなわけで、DEPO社製の黒渕入りマルチリフレクターに換装した。


 チョッと引き締まった感じかな? →換装前

 バルブは先代LEGACYに着けていたIPF X42(120/160W級,5000K)を流用。
 これでもう少し夜道も走りやすくなるかな。思いっきり電球色のライトからもおさらばだ。


 インプに手を入れるのは先月のオーディオ・ETC配線を除いては初となる。
 これからいろいろ手を入れていくとするか。


2009/4/11-12(sat-sun)
復活のLongRun
 エンジン交換で40万コースの大修理を言い渡されたインプ。しかし幸いにも購入1ヶ月だったので、販売元の中古車屋でクレーム対応してもらうことができた。
 で、1ヶ月の長期入院となったわけだが、ようやく修理完の連絡があって金沢まで引き取りに行ってきた。

 で、せっかく金沢まで行ったわけだし、そろそろ気候もよくなってきたし、今回は泊る当てもないし、そんな時は…ALF氏に「キャンプしましょう!」
 というわけで、金沢からさらに100km足を伸ばして、今回の泊地は能登半島の真ん中、“石川県健民の森キャンプ場”。またまた海鮮尽くしのBBQとなる。
 そして今回のメインは牡蠣。元々俺は、どうも牡蠣は苦手だったんだが、ここの牡蠣はホンマに美味い。生臭さが全くない。


 この牡蠣を買ったのは、ALF氏行きつけの、うっかりすると車ごと海に落ちそうな小路の行き止まりにある養殖業者。
 あまりに美味かったんで、土産に買って帰ることにする。
 海がきれいだ。静かだ。しかしここは、先週の瀬戸内とはまた雰囲気が異なる。開けた海だが、穏やかで、しかも奥深い。ここは奥能登・内浦なのだ。


 さて、インプ復活。
 復活のFast Long Runは、またしても定番の金沢-奈良となった。

 エンジンまで交換したからには、しばらく、しっかり、俺の旅につきあってもらうとしよう。


2009/4/5(sun)
ゆっくり
 母の実家の墓参りに尾道・百島へ。新LEGACYの2度目の長距離ドライブである。
 先代のLX(1800NA)は明らかに非力だったが、今度の2.0iは力強さこそないが、必要十分にはなった感じで、高速への合流もそれほど気を使わなくてすむ。

 百島へは、いつもは常石からフェリーに乗って10分程なのだが、今回はフェリーの時刻の関係で久しぶりに尾道側からフェリーとなった。
 向島の歌桟橋から百島までは、30分のちょっとした船旅となる。

 フェリーは小さな島々の間を縫って、狭く穏やかな水面を進んでいく。


 小ぶりなドックとクレーンが一基だけの、小さな造船所の前を通り過ぎる。
 動くもののなかった対岸の島で、突如現れた軽トラが桟橋に向かってフェリーを追い越していく。

 瀬戸内の島々の間を縫って進むフェリーからの眺めは、外洋の船旅とはまた異なった独特な雰囲気を持つ。
 緩やかな時間の流れと、陸までの奇妙な近さ、ひとつひとつの要素の小ささ、そして少しずつ変わる景色は、なにか別の世界にいるような不思議な感覚だ。



 島に着いたのち、墓参りと寺への挨拶を済ませ、次の船まで時間があったので浜を散策する。
 小さい頃、よく泳ぎに来た場所だ。


 朽ちつつある母の実家の様子を確認に行く。
 4年前には荒地といった感じだったが、もはやここまでくると、何かに変わりつつあるようだ。
 庭に細い踏み跡がある。何かと思ったら藪の影に狸が隠れていた。獣道ができている。

 ゆっくりと静かに、だが確実に何かが進行している。


2009/4/2(thu)
研修してない研修生
 つい先週、入社1年だなどと書いた。

 大多数の世間一般の入社2年目などといえば、右も左も分からずとも、なにかしら配属ってヤツが決まってるはずだ。そこから、配属先部署で研修ってのはよく聞く話。
 実際、大学時代の知人と会えば、たいてい出るのは「どんな部署に配属?」だ。

 ところが、俺の肩書きは未だ「研修生」だ。そして2年の予定の「研修生」は、専門研修開始1週間にして、展示会準備の臨時プロジェクトに徴用で既に半年遅れている。
 そしてその臨時プロジェクトが終了し、ようやっと研修に復帰できたのが12月。無事に3ヶ月の製品組立工程の研修は終了した。そして先月からは製品仕上げ工程の3ヶ月の研修に突入した。

 ところが、ようやく順調に研修が走り出して、当分大きな展示会もないし、「進路上に障害ナシ」のこの時期に、やっぱり脇道に引きずり込まれるのが俺のクオリティ。
 昨日、突然にして言い渡された赤紙。またしても、「研修中断」そして「臨時プロジェクト徴用」だ。


 今度の赤紙の内容は何か?
 「一時帰休対策・教育訓練準備委員会(仮)」だそうだ。

 そう、昨年9月のリーマン破綻以降、大多数の製造業の会社で受注が激減した例に勤め先も漏れなかったわけだ。
 業界的に定期的な変動に慣れている分野だから、いますぐ会社がヤバいってことはないらしいが、それでも製造現場は突然に暇になってしまったわけで、在庫ばっかり増やすわけにもいかない。
 会社は雇用は守ると明言しているが、ただ暇を持て余すわけにも行かない。
 で、多くの会社は、「申請した上で休業日を増やすと、休業した社員の給料の半額を国から貰える。代わりに雇用は維持しなさい。」ってな雇用助成金って制度を使って休業しているわけだ。

 ところが、我らのBOSSは「たとえ不景気だろうと、社員を遊ばせておくわけにはいかない」ってな発想の持ち主。
 そこで使うのが、先の助成金制度のもう一つの補助「休業して教育訓練を実施すれば、休業した社員の給料の全額を国が支給する」ってもの。(あくまで平均額だが)

 そして、その教育訓練を準備するに当たって、またも召集されたのが、技術系研修生3人というわけだ。
 今度はいつまでこのプロジェクトかと問えば、「景気がよくなるまで」。ちなみに、前回(バブル崩壊後)は1年半ほど教育訓練をやってたらしい。


 …いったい、俺の研修が明けるのはいつなんだろか?
 というわけで、これから暫く、「研修してない研修生」の肩書きをまた背負う羽目になったようだ。

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